Saint Bleu

Don't you ask yourself, ”Can this be?”

祝・終のステラ1周年(初見感想再録)

終のステラ1周年おめでとうございます!
自分がクリアしたのは今年3月のことなので、そこからもちょうどハーフアニバーサリーくらい。
これからも大切にしていきたい作品です。

今年5月のイベントで配布した、終のステラ感想ペーパーの内容を掲載します。
初見クリア直後にウワーッって書いてなんとか紙面にまとめたものですが、今読むとしみじみ味わい深い。
イベントでお手にとってくださった方、ありがとうございました。

 

ペーパーの表紙&ポストカードの絵です

 

キャラクター

○ジュード

 現実と理想の狭間をなんとか生きようとした人。自分のすることに意義を見出したい、自分の手で何かを成し遂げることに強い動機のあるところは、Rewriteの瑚太朗君を思い起こさせた。
 初めからフィリアに思い入れる可能性を予期しながら、そうならないようにさまざまな予防線を張って、仕事を成し遂げられるように対処してきたけれど、最後の決断に至るまでの迷いと苦悩の変遷がとても印象的でよかった。ジュードが仕事を成すことに意味を感じていたのは、自分の手で何らかの結果をもたらせるという点が大きかったことを考えると、最後の最後でジュードはフィリアを自由にすることが今の自分の手で成せる「一番意義深いこと」だと判断したから、ウィレムと決裂したのだなと思う。
 妻と子を見捨てた過去から、愛情深い関係を他者と持つことはできないと自分に戒めたからこそ、運び屋の仕事に生きてきたところもあると思う。ただ戒めはしてるかもしれないけど、村に留まる選択はどう考えてもできなかったって現在でも思ってはいて……二人を連れ出してどこか違う土地を目指すことはできなかったのか、とちょっと思ったけど、それができなかったから、フィリアを自由にしようと思えたのかもしれない。自分の外側にあった善なる大切な存在に、今度こそ遠くへ行ってほしいから。正しさや意味を超えていく自由を体現する彼女に、自分のすべてを教えて託した果てに、彼は「父」という名前の意義を最後に見たのかもしれない。

 

○フィリア

 一応美少女ノベルゲームのヒロインなのに、絶妙なめんどくささと手のかかる子ども感がすごかった。だからこそ、心の発達に伴ってだんだんと声の演技が変わっていくのが痺れた。恋愛相手ではなく「娘」というポジションを務めるからこその造形が良かった。
 ジュードのことが怖かった、見捨てられたくなくて必死だった、って言ってたところがすごく印象的だった。外からは無邪気な子どもみたいに見えて、庇護する者から手を離されないようにどうしたらいいか内ではいろいろ考えてるのも人間の子どもと通じるものがあると思った。
 初めてリミッターが外れるのがジュードに銃を向けたときっていうのがすごい。子どもが大人になっていくというのは、不条理を受けいれることでもあると思ってしまうこともあるけど、心が成長するにはどうにもならないことに抗おうとする精神が必要なのかもしれないとあのシーンで思わされた。ずっと葛藤にみずから答えを出すのを繰り返すなかでフィリアは心を育てていったんだなと思う。
 フィリアが最初に目にした、一番近しい庇護者で「父」なる存在のジュードは、最後まで自分で考えて決める生き様を見せてくれた。どうしたらいいのかわからなくても、独立した自分の意思をもって決めることが人間であることだと教えてくれた。終わりゆく星が確実な希望の未来を得なくとも、「人間」であろうとする存在がこの地を行くことが、二人の目指した希望であってほしい。

○デリラ

 CV花守ゆみりさんの声が素敵。一生聴いてたいと思ったら一瞬で退場して悲しかった。そして衝撃の事実判明で突き落とされる二段構え。話作りがうますぎる……!
 デリラの語る「尊敬する父」との旅、教わった大切なこと、敬愛の感情をジュードたちと重ね合わせてからの、親と子、人間とアンドロイドにわたされる関係の、こちらももしかしたらこうなっていたかもしれないというアンチテーゼ。機械は物忘れをしない、とは序盤にあった文だけど、機械は正確に学習するからこそ、正確に誤学習することがあるという性質について考えさせられた。
 心が傷ついて記憶を歪めたり認識をねじ曲げたりするのは人間でもあることで、虐げられた子どもの反応としては順当なものなのかもしれない。彼女は心が育たず平凡なAe型になるわけでもなく、「父を敬愛する娘」として冷静で聡明で理知的に見えた。それは頭部損傷の情報エラーとともに、「父」の怒りや怯えのような感情に触れつづけたことによるものなのかもと思う。デリラの「父」はおそらくアンドロイドを嫌うか恐れるかしていて、人の輪に溶け込むため人に親和的に生まれたデリラが、そういう強い敵意や害意のようなものに触れ続けたことは、無関係ではない気がする。人間の子どもも、そういう過酷な環境で生き延びるために大人びた精神を身につける傾向があると思うので。
 Ae型アンドロイドは停止したら何一つ証拠を残さず爆発すると初期の資料にあったけど、デリラはあの場所でずっと眠りつづけられるのだろうか。それともリミッターを外したらその方法からは除外されるのか。ジュードたちが去ったあとにもしかすると骨だけが残る岩陰のことを思い浮かべてしまう。

○ウィレム

 人類の復興の夢を成し遂げるために、途方もない年月と労力をかけた執念の人だった。ジュードの仕事相手として怪しくも頼もしくもあり、疑心暗鬼になりつつも頼りたくなってしまうという描き方のバランスが素敵な人物だった。
 長年の夢をようやく成し遂げようというときになって、最後まで騙しきれなかったのが人間味を感じて良かった。人類復興を心から願っていたからこそ、自分との類似性を見出したジュードには自分の真の目的や思想に賛同してほしい、してくれるかもしれないと思ってたのかもしれない。
 フィリアにあまり関わらないようにしていたのも、自分でAe型アンドロイドを育てなかったのも、自分で育てれば多少なりと思い入れができることがはっきり予見できてたからなのか。けれどAe型は人類がこの星に再び満ちるための足がかりでしかなく、自分と対等な存在だと見なせば計画は破綻する。異なる存在だと線を引き大いなる目的に寄与する古代遺物の一つだと思わねばならない。ハダリーに惑わされない真の人類たるエワルドになろうとして、彼の中にはずっとハダリーを見つめるエワルドが住み続けていたように思う。(参考図書『未来のイヴ』まだ読んでないので読みます……!)
 

ストーリー

○人間とは?

 さまざまな機械やアンドロイドが出てくる本作で、その違いや共通点について考えさせられた。フィリアは人間ではないというけど、ジュードもいろんなパーツをはめ込んで五感を機械的なセンサーに頼ってるという、機械を埋め込んで生きてるといってもいい人間で、区別の境界はどこなんだと考えざるを得なかった。
 フィリアは初期設定で人に溶け込むための人類愛を持っていて、それは本能のようなものだとジュードは理解する。本能めいた設定は学習によって質を変えていく。学習が設定を複雑化し変更することと、経験によって本能に折り合いをつけることは同じようなことなのでは、と思ってしまう。
 AIが膨大な試行の末に解を導き出すさまを、人間は高精度の推測だと思ってしまうというような話があったけど、人間は機械の思考プロセスを自らと同じものに引きつけて、どうしても人間的に考えてしまうところがあると思う。だから機械であるはずのものが高度な推測で解を導くのを不気味だと思ってしまうのかもしれない。
 話が進むにつれて、もはやアンドロイドか人間か問うことにさしたる意味がなくなっていくのがとても良かった。かつての人類が作ったAIが、年月とともにわずかに変質した今の人類を見落としてしまい、なぜか見つけられなくなってしまった人類を探すために、限りなく人類の定義を満たした存在を作り世界に送り出した、という構図自体が、もうなんだか壮大な人類愛のように思えてしまう不思議。人類に寄与するための技術はとうに忘れ去られても、当初の目的のために稼働し続けているというのは、ロマンというかとても好きだなと思う。Ae型アンドロイドの持つ人類愛はきっとAIの考える「善良で一般的な人」の姿を写しとっていて、AIがその姿をずっと残し続けていることだけで少し胸が熱くなってしまう。
 フィリアが「エワルドのためのハダリー」ではなく「ハダリー」として生きていくことで、潰えようとしていたこの星の未来がもっと大きな枠で見えるようになる構図が好き。人類を地球に生きる知性を持った動体として大きな括りで見れば、Ae型アンドロイドは人間が作ったAIによって生み出された新たな種族で、シンギュラリティマシンも人類の隣人みたいなものとも思えてくる。そんな新しい種族と隣人たちが長い年月の中でほんの少しずつこの星の在り方を変えていくのは、人類の「復興」ではないかもしれないけど、「はじまり」とは言えるのかもしれない。

○傷つけあう命

 『終の祈り』が流れる、銃を突きつけあうシーンがすごく印象的で、すごいもの見せられてしまった……って思った。『終の祈り』はどうやらジュードの曲らしく、すべてを手放す決意と覚悟をもった祈りがあったのかもしれないと思う。
 傷つけて傷つけられて、そうしないと進めないこともあるんだって突きつけられた。人を傷つけたくないって言ってたフィリアが初めて傷つけたいって思ったのは、ジュードに本気で傷つけられたからで。ふたりとも銃の引き金を引いてはいないけど、命のやりとりをしていた。理屈で諭すんじゃなくて、むき出しの生身で心でぶつかって初めてわかることもあって、心が成長するとはそういうことなのかもと、全身に浴びせられた気がした。
 このシーンで感じた衝撃はなかなか上手く言葉にできないけど、ただただ命がぶつかって闘っている、って揺さぶられてしまった。『折れない翼』を聴きたい気持ちになった。傷つけ 壊して 壊されて 愛して 愛されて そんなありふれた自由が僕にもあったんだ……。
 その後の森でフィリアが歩けなくなってジュードが過去の話をする場面も含めてとても好き。闘争の果てにぼろぼろの姿でなにもかもはがれ落ちて向き合って、初めて見えるものが信頼と呼ばれるものなのかもしれないと思わされた。二人ともどうしようもなく迷っていて、葛藤と戦っていて、ここに来て二人で同じ場所で戦うことができたんだと思った。ジュードは、フィリアを届けて仕事を完遂することよりもフィリアが何をするのかを見届けることのほうが、自分にとっての意義があると思い始める。フィリアは、ジュードといられるのならそれでいい、いられないなら死んだっていい、わかってくれないなら死んでほしい、そんな激しい感情の葛藤で立ち尽くす。
 でも、ジュードの話を聞いたフィリアは一緒に行くと笑ってみせる。ずっと一緒にいたい、このままここで朽ちてもいい、それでもあなたがすべてを賭けてわたしを連れていくというなら、わたしもすべてを連れて大切なあなたと一緒に行こう……そんな気持ちになったのかもしれないと想像してしまった。

○理由と選択

 終のステラは、全体通してそのひとが選択したことなんだと思えてよかった。それが物語の流れだからとかじゃなく、人生の決断だったんだと思うことができた。読み手のこちらがそれを肯定できるかできないかとか、そんな尺度で測れるものではなくて、自ら選択したのを見たなら、それ以上のことはないって気持ちにさせられた。
 ウィレムから衛星になる選択を示されたとき、フィリアはあっさりと受けいれるけど、そこにはジュードのためにできることをしたい慈愛とか、「人間になれたらみんな救われる」という初期の本能とか、そういうものがあったと思う。大切なひとがこの場所に来たかったというのなら、その夢を叶えるのが自分の役目だと、そんな利他心を抱くところまで来ていたんだと思う。
 でもジュードはその選択を否定する。行きたくないと言ったフィリアとここまで来たからこそ、彼女の行く先はそんな場所であってはならないと思う。決められた枠の中で意思を遂げるのは本当の自我じゃなくて、本当に自らの自由な意思があるのなら、何をしていいのかわからない中で何がしたいのか決めなければならない。フィリアを一人の独立した意思を持ったかけがえのない大切な「人」だと思うのなら、役目や設定や宿命から解き放たれた先でどう生きるのかどこで生きるのか選ぶ権利がある。フィリアの心を育てて「人」にしたのはジュードだから、彼は彼女を「人」として生きさせる義務がある。それが二人の「父と娘」という関係図なんだな……と思わされた。
 フィリアが衛星になれば、多くの人類が救われたかもしれない。星の在り方が一気に変わり、人類が再び活気を取り戻したかもしれない。それを覆すのはもしかすると愚かで不合理なことなのかもしれない。それでも、自分の中で理にかなったならそれを選ぶことの尊さを思った。そのことに意味があるのかわからなくても、意味があると信じて祈って選んで行動することに、「人」らしさがあるのかもしれないととても強く胸に刻まれた。
 選ぶとかそれ以前に、生きることに理屈を求めるものではないって気持ちにもなった。あなたに生き延びてほしいと思う気持ちに理由なんてない。そこに合理的な解を出そうとすれば必ず限界に行き着く。人間は次元を超えた思考で理を紡ぐような高度な存在にはなれないし、なるべきではないのかもしれない。人とは、人が生きるとはなんなのか、何度もこの物語の中で考えさせられたけど、彼が生きて彼女が生きていることが答えなんだ……といろんなものすっ飛ばしてそんな感動に浸ってしまった。




発売から1年経って、自分のプレイから半年経っても、まだまだ語りたいことが尽きません。
まだ参考書籍読めてないので、読めたらそれを踏まえて改めて考えてみたいところ。
これからも長く語り継がれる作品でありますよう願いをこめて。