Saint Bleu

Don't you ask yourself, ”Can this be?”

勇者の心を持ち続けろ

※この記事はドラゴンクエストビルダーズのクリア感想記事です。ストーリーモードのネタバレがあるのでご注意ください。

 

 

ドラクエビルダーズ、最初は軽い気持ちで買ったのが、予想以上にハマってしまいめっちゃ頑張ってめっちゃ短期間でクリアしました(当社比)いつもゲームをやるときは短くとも三か月長ければ一年二年それ以上かけてプレイする癖があるので、こんなにがっつりやったのは久しぶりだ……。

DQBはブロックメイクRPGと言われてるようにものづくりDQ、という面が押し出されてるように思います。プレイする前は私も「ふーむドラクエでものづくりかー……マイクラとかやったことないからなー」みたいなそんな感じでした。しかしいざプレイしてみると、ストーリーが奥深くて良い……。それぞれの街を取り巻く物語、住人の台詞、演出のひとつひとつが心に響いて、ブロック積み上げながらえんえんと取り留めもなくいろいろなことを考えてました。

あと女の子がみんなかわいい。とにかく女の子がかわいい(重要)

 

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かわいい(確信)

 

人間が作り出したもの、ビルダーが作り上げたもの

ビルダーズではそれぞれの街に荒廃するまでの物語があり、ストーリーを進めていくたびにそれが明らかになっていくというのが面白かったです。

メルキドでは、追い詰められ疑心暗鬼になって争い合う人間を、街を守るためのゴーレムが滅ぼしたという過去が。最後にメルキドの人々が立てこもっていたというお城を探索したときは怖かった……「大人たちに呼びだされた…」とかいう子どもの手記読んだときは背筋が冷えました。人間の作ったものが人間を滅ぼす、というものづくりのネガティブな側面を序盤からがっつり見せられていく。荒れ果てた廃墟でのスタートから、どんどん武器とか防衛設備とか強化していく流れになっていくのも少し不安を覚えた。このまま作り続けていたら良くないことが起こるんじゃないかと。でもその分空の闇が晴れた後の街の人々の会話には心打たれるものが。ピリンちゃんの「わたしはただみんなが仲良く暮らせる街を作りたいだけ」という想いがテーマだったのかな。

リムルダールでは、病に苦しんだ人々が死そのものを超越しようとして、悲しい結果を招いてしまう。「病と闘うことは、死ぬこと以上につらくくるしいもの」という言葉が重くのしかかる。苦しさに心折れかけて、やはり病に抗うのはおろかしいことなのではないか、抗わないほうが自然なのではないか……というところに主人公は「大きな力にあらがうのはおろかしい、しかしだからこそ人間らしい」と言ってみせる。そもそも物を作ること自体が自然に抗うことで、荒れ果てた世界で何かを生み出して現状に抗う存在がビルダーというもので、だけどそれが人間の生なのだから、なんとしても抗うのは愚かしくとも間違いではない、というようなメッセージを感じました。ものすごい個人的な解釈ですが……。一番好きな街だったな。

マイラ・ガライヤでは、DQⅠの勇者と同じく竜王の誘いにはいと答えて、狂ってしまった故に命を落とした発明家ラライがキーパーソンに。選択というものに対するテーマ提示もあった章。アメルダの伝えるラライの発明の断片を元に様々な道具を作り出すことで、だんだんと魔物に対抗できるようになっていく。どんどん武器とか強くなっていって、大砲とかしまいには超げきとつマシンとか出てきたけど、メルキドの防衛強化の時みたいな不安はなくて、なんとしても魔物に対抗するんだ!という街全体を包む気概のようなものを感じてアツい章でした。筋肉のちからってすげー!ラライさんの真意が最後まではっきりとはわからなかったのが逆に良かったな。

それぞれの街で、人間は自らが作り出したものに滅ぼされたり苦しめられたり狂わされたりと、辛い結果を招いてしまうことに。ラスト竜王との会話でも、すべて人間が生み出した結果なのだ、と指摘されてたな。そうしてものづくりの力は世界の調和を乱す力とされたから奪われ、あの荒廃したアレフガルドが生まれてしまった。竜王が人間を滅ぼさずにものづくりの力だけを奪ったのは、それが世界の調和が保たれた姿だと考えたからだった。人間がなにかを生みだすことはすなわち調和を乱すことなんだと。

しかしそこに物を作る力で抗っていく主人公たち。ラダトーム編、ひいては竜王戦はこれまでに培ってきたもの作り上げてきたものの集大成みたいに見えた。今まで関わってきた街の住人たち、出会ってきた人々が、本来竜王を倒すほどの力を持たない主人公を助けてくれる。竜王戦はまさかああいった形になると思わなかったな。何かを作ることは、良くないもの、苦しみ、混乱、災厄まで生み出すこともあるけれど、選ばれた者でなくても、力を持たなくても、作ることでなにかを成すことができる。主人公が空の闇を晴らしたいと動いてきた理由は、「友だちを助けたい」「友だちに平和な世界を見せたい」なんですよね。竜王に打ち勝ったのは、主人公が築き上げてきたみんなとの縁や絆みたいなものがあったからなんじゃないだろうか。そういうシナリオとても好きです。 

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選ばれた勇者と選ぶ勇者

けれど、皆と協力して街を作り復興し、力を借りて竜王を打ち倒したビルダーとひきかえ、DQⅠの勇者はとても孤独なんですよね。ビルダーズは、たった一人で責務を背負い竜王に立ち向かうことになったDQⅠの主人公との対比でもあったのじゃないかと。

その方は 勇者の血を引く 選ばれしものとして

周囲から もてはやされて 生きてきた……。

きっと その方には 自分で自分の道を決める

選択肢が 与えられたことなど、

一度も なかったのでは ないでしょうか。

ED前のエルちゃんの考察。DQⅠの勇者は頼る仲間もおらず、行く先の人々は伝説の勇者の子孫、ともてはやすだけで、たったひとりでアレフガルドを巡りただ竜王を倒すため奮闘しなければならなかった。プレイヤーとしてもDQⅠはやってて寂しいんですよね。他のDQをやった後ならなおさら孤独感がつのる。そんな勇者に、世界の半分が欲しいか?という勇者にとって初めての選択が与えられ、その選択によってアレフガルドの運命は大きく変わってしまった。そのとき勇者はなにを思ったのか、なにを考えたのか。竜王がもしそんなところまで読んでいたとすれば感服するなあ。王の中の王と言うだけはある。

その方は きっと 世界の半分が

本当に ほしかったわけではないと思うのです。

あの問いに はい と答えたのは

純粋な 好奇心だったのではないかと 私は思います。

エルちゃんの考察続き。「はい」を選んだことのあるプレイヤーなら唸ってしまったんじゃないかと思いました。少なくとも私は唸った。

「世界の半分を与える」なんて突拍子もない問いに驚いて、こんなのに頷いたらだめだろうと思いながら、でも選んでみたらどうなるんだろう……と好奇心に駆られ、つい「はい」を選んでしまった、その結果ビルダーズの世界が生まれた。勇者の、プレイヤーの好奇心の数だけ闇のアレフガルドが生まれていたんだなと思うと、なんとも言えない感慨と少しの罪悪感が。

世界というものは その時々の選択によって

いくつにもわかれて 広がっていくものなのさ。

ラライさんの言葉。同じ形をしていても、勇者が世界を平和にし、ビルダーが生まれなかった世界もある。ゲームの選択肢による世界線の話は他のところでも聞く話であるけども、ドラクエでこんな話を聞くとは思わなかったな。選択肢を与えられたとき人はいったいどうするか。選ぶということは人間らしく、選ばなければ世界は生まれない。「はい」と答えた勇者は一見大罪人のように思われるけれど、勇者も一人の人間として生きたかったのだ、という答えを提示してくるあたりさすがだなあと思わされます。

そういえば「セカイノハンブン」と名付けられた小さな城に居を構えていた「やみのせんし」は、「オレが王様なんだ」みたいなことを口にしてましたが、責務を背負い行動する勇者よりも、家来に囲まれ選択する権利を行使できる王様のような存在になりたかったのかもしれない。

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伝説の勇者の時代のおわり

ラダトーム編で、いつか勇者が竜王を倒してくれる、伝説の勇者にすべてを託そう、そんな言葉が出てきたとき、まさかこれはDQⅠへのアンチテーゼみたいなものなのでは?という考えがよぎりました。勇者が冒険をし、世界を救うものとされる物語への、今の時代におけるひとつの回答なのではないかと。

主人公はルビスの声に逆らい、自らの領分を超えようとも竜王を倒す道を選ぼうとする。自らの命を懸けた無謀な選択だったけれど、結果的にはそれが世界の闇を晴らすことにつながった。主人公の「友だち」に平和な世界を見せることができた。「勇者だからなにかをなすのではなく、なにかをなしたから勇者なのだと」というラストの姫の台詞が、時を超えたひとつの回答だったのではないかと思います。

ビルダーズをやっていて、ふとひとつの好きなゲームの台詞を思い出しました。

英雄とは常に人々と共にあるべきものだと思う。

それは、特定の者の思惑を守る者でも、

戦いで名を馳せる武人でもない。

誰よりも純粋に弱き者の心がわかり、

前向きであり続けられる者のことだろう。

 

――『英雄伝説 白き魔女』より

ビルダーはいつも街とともに、人々とともにあり続け、さまざまな人と信頼を築くことができた。ものを作り出す力をもって、何かを前向きに生み出してきた主人公だからこそ、闇を晴らす力を得ることができたのではないか。「あなたは勇者ではない」とずっと言われ続けてきたのは、勇者とは誰かに言われてなるものではない、ということだったのでは。

同じゲームからもうひとつ引用を。

これからは、修行を積んだ魔法使いが悪い竜を倒したり。

腕っぷしの強い剣士が、剣一本で国王になるような時代じゃない。

それで事が収まるような単純な世の中では

なくなりつつあるのじゃよ。

これからは一人一人が自分の持つ才能を役立て、

それぞれの暮らす場所で、みんなのためになるよう頑張る。

そうでなくてはいけないのじゃ。

そのためには伝説の英雄などというものは

邪魔なだけじゃ。

 

――『英雄伝説 白き魔女』より

ストーリーのラストを見て、この台詞を思い出しました。終わることのないビルダーのものづくり。協力して街を作る人々。そして、選ばれし勇者が世界を救う時代は終わったのだなと。これからは、みんなの選択がいろいろなものを生みだし、それにより世界は紡ぎだされていくのかもしれない。そういった、新たな時代の訪れを感じさせるとても良いストーリーだったと思います。

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長々と好き勝手に書きましたが、ドラクエビルダーズはブロックメイクに興味がなくてもとっても楽しめるゲームだと思います。紛うことなきドラクエだった。ストーリーモードが良すぎて、フリービルドの目的を見出せずにうろうろしてる自分がいる……;面白いというか楽しいというか、いつの間にかすっぽりゲームの世界に、思考にハマりこんでしまうゲームでした。ありがとうございました。次回作はいつかあるのかな?

 

追記

記事タイトルは『英雄伝説 白き魔女』中の台詞を少し変えたものを使わせていただきました。白き魔女はとても良いゲームなのでぜひ。(なぜか別ゲームの宣伝をして終わる……)